fc2ブログ

Latest Entries

書いたことないです

ブログ……って書いたことあります? と聞かれたので笑ってしまった。わたしは携帯をもちはじめたのが高校一年生のときで、そのころはもうiPhoneが、もう何番だったのか憶えていないけれど、とにかく既に時代はスマートフォンの時代だった。自由にアクセスできるパソコンも同時期に得たため、わたしにとってインターネットはそれまでよくわからないものだった。

特にわたしたちの世代の前後は、何歳の時にインターネットにアクセスできるようになったかにばらつきがある。その時々で流行っていたものも違うので、同年代の子に話をきいても、経験が異なることが多い。小学校のころからニコニコ動画にどっぷり浸かっていた人もいれば、大学生になるまでAmazonの使い方がわからなかった人もいた。同い年の女の子が、中学生のときにミクシーで会った人と遊んでいた、と言っているのを聞いて、失った機会について三日ぐらい考えてこんでしまったことさえある。

このばらつきが悔しい。そしてその悔しさの源のひとつにブログはある。ブログは、わたしにとってはすこし世代が上の人に流行っていたものという印象である。もしかしたら、はやめにインターネットにアクセスできていた人はやっていたのかもしれないが、わたしは遅咲きだったのでそのことを知らない。自分の知らないところで楽しそうなことが起こっていたのだ、ということしかわからないままでいる。逃がした魚がまあまあの大きさのような気がするが、魚だったのかもわからない。ばらばらのブログを書いていた人同士がどういう原理でつながりあっていたのかさえ、うまく想像できない。

それでもわたしも、ほかの人がみすみす逃したインターネット・ハッピー体験をしているのだろう。そもそもインターネットがある時代に生まれているのだけで十分なのかもしれない。

ごく最近だったように思えることさえ、歴史の一部であるように記述されているのをみて、ああ、時間が経っているな、と思う。その時間の一部として、内包されていることを、記録の蓄積が際立たせている。このブログしかりである。

窓の色

こんにちは。
先月末から本だらけで居心地のよい編集部で勤めております。窓からは緑色のカエデが風に揺れていて、ほっとします。これがやがて色を変え、落葉し、土に還っていく。その光景を想像しながら、仕事を忘れて過ごしています。
人間も色を変えていいんじゃないか、と思う時があります。私は毎朝、色占いをみることを日課にしているのですが(ちなみに今日9/13は「藤色」)、これが結構あたるのです。その色の装丁の本を持ち歩いたり、服装をその色に近づけたりすると、(暗示かもしれませんが)イイことがあります。
例えばこの前は「桃色」だったのですが、食材を買うため、スーパーの桃の看板を探し当て、そこで桃を買ったのですが、これがとても甘くてみずみずしくておいしかった!
それに、色は色をおびき寄せます。この間金色だった私は、金色の蛾と友達になりました。金色の蛾は、椅子に座っている私の頭上を飛び回り、白熱灯に音をたてて当たった後、私の目の前に落下し死にました。183センチの私と3センチの蛾が同じ空間の中で生きていた。しかも編集部で。これって結構素敵なことではないか、と。
旅行とかできない日が続きます。思うようにいかない日が続きます。でも、だからこそ発見できる微細な色を感じながら生きられたら……土に還って、また繰り返す日常を……と……☆でした。

孤高の俳人

こんにちはzifuです。
編集部は目前に迫る143号校了日にむけて、原稿が飛びかい熱気を帯びつつあると思いきや、今年の夏はガランとしています。新型コロナウイルス感染症予防のため、「三密」を避けるべく多くの編集部員が在宅ワーク。扉を開けはなち、マスクをつけたまま、静まった三田キャンパスでの編集作業。外では蝉がしきりに夏が終わると言っているのに、人とあまり会わない、話さない夏はまだ始まっていないような奇妙な感じです。

ところで、日乗を更新するのも今回で三回目。
一回目は「編み物」について、二回目は「JR田町駅にいる鳩撮影」といずれもそのときハマっている趣味についてお話してきました。(ちなみに、田町駅の鳩は「餌やり禁止」が強化されたためか姿を消しました。悲しい。)
そして最近趣味がまた一つ増えました。俳句です。
基本的なルールとしては、五七五音の中に季語を読みこむこと。それだけであるのに病みつきになる面白さがありました。
一番は十七音で一つの「文学」が完成できるというお手軽さ。何万字と書かなくても一つの作品が出来上がるのです。おまけに始めるときに俳号(ペンネームみたいなもの)まで作ってしまったので、気分上々。「これでも俳人なんだぞ」と少し胸を張って歩けます。

花火大会、お祭りと季節のイベントが軒並み中止のなか、人込みを避けこっそりマスクを外し周囲を窺がってみると、日常にも実はあちらこちらに季節の気配が転がっています。
人と会えない今だからこそ、ご近所散歩がてらに俳人ごっこ。いかがでしょうか。

まるで世界の終わりのような

こんにちは、まつです。

ここのところコロナウィルスの影響で、街に人影がなくなったり、大学の春休みが四月いっぱいまで伸びたり、テレビや新聞ではそのことでもちきりだったり、デマが流れたり、街の封鎖や、買い占め、疫病といった単語が聞こえてきたりと、ものものしい雰囲気で非日常に踏み込んだような日々が続いていますね。まるで世界の終わりのような。
小さい頃から私は、世界の終わり(みたいな風景)を描いた文学が好きでした。例えば『グリーンノウの子供たち』の冒頭、お屋敷が大雨の洪水で沈んでいてそこに主人公が小舟で渡ってゆくシーン、それから、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』のいくつかの短編、空想の中で、外の世界はもう滅んでしまっていて、自分たちがいる子供部屋だけは安全ということにして遊ぶのも大好きでした。そして今は、ポール・オースターの『最後のものたちの国で』という、ひとつ、またひとつとものが消えてゆき、子供は生まれず、終末に限りなく近づいていく世界を描いた作品を卒業論文に向けて研究しています。
なので、最初はまるで世界の終わりのような光景を目の当たりにして不謹慎ながら少しわくわくしていたのです。けれど、世界の終わりのような風景に段々と慣れ、その感覚が薄れてくるにつれて、文学と現実の境界線はやっぱりあってほしいなと思うようになりました。
今は目の前に広がるまるで世界の終わりのような、けれどこれからも続いていく世界を、拙いながら終末の物語を研究するものとして、恐ろしいような、興味深いようなきもちで固唾をのんで見守っています。

目指せ最強のアラサー!

はじめまして。2月から編集部に加わりました。tomatoです。
最近家族に何かにつけアラサーアラサーと言われるのですが、そんなからかいをよそに、私は今人生でいちばん元気です。

どれだけ元気かというと、春めいた気持ちのいい日にお散歩と称して6kmを1時間半歩いても全然へっちゃらなくらいです。
あとは、先日1年ぶりに行ったダイビングで体力を消耗しきらず、帰宅後も日常生活を送れたこと。大学卒業から始め、当時の私の体力では強度が高く、そこから数年、年1回という頻度だったので上達もせず…しばらく「生きるか死ぬかのダイビング」という感じで、なぜ始めたんだろうと後悔していたのですがようやく楽しめそうです。

私は昔から体力がコンプレックスだし風邪もよくひいていました。(なぜかインフルはなし) それを変えたい!と昨年からランニングを始め、まずは1km、そこから3km、5km…と楽にできる距離が伸びています。おかげでとても元気です。習慣化する、というのはなかなか難しいですけど、この調子で最強のアラサーを目指したいと思います。

コロナウイルスの影響が各所に出ておりますが、みなさまも負けずに日々健康的に楽しく過ごせますよう!

Appendix

三田文学編集部

mitabun

月別の一覧

日めくり

04 | 2022/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索